「冬香さんと僕。」#1
/1
「ね。一緒に死のう? 雪くん」
「あはは、イヤです」
それはいつも通りの風景だった。バイトから帰宅した僕、柊雪也の手を両手で握り締め、一緒に心中することを要求しているのは義姉の柊冬香さんである。いつも通りにこやかにお断りをして、僕はカバンを部屋の隅に置いた。2Kのアパートは、僕が生まれる前に建てられただけあって、そこかしこにガタがきている。それでも風呂トイレが別々に付いて月の家賃が5万円を切っているのなら十分に我慢ができるだろう。
「じゃあ、雪くん。結婚して」
「あと一年待ってくれればしますよ」
「分かったわ。あと一年ね」
冬香さんのいつもの言葉に、僕はこればかりはにこやかに首肯してみせる。すると冬香さんは嬉しそうに笑って、狭い台所へ軽やかに戻って行った。
仕事で嫌なことがあると「一緒に死んで」と言い出し、それを僕が拒絶すると一転「結婚して」と言い出す冬香さんが、あれで職場では有能だというのだから驚きだ。仕事をしている最中の冬香さんを見たことが無い僕には、もしかしたら永遠に有能な彼女を見る機会は訪れないのかも知れない。
「お風呂、準備しておきますねー」
「おねがーい」
台所に立つ冬香さんの背中に声をかけて、風呂場へと入った。
さて、義姉というからには冬香さんは柊雪也とは血の繋がりは無い。
では一体どういう関係かといわれるなら、彼女は兄の奥さんである。では兄は?と問われれば、部屋の片隅に置かれた小さな仏壇を見るしかない。位牌は三つ。父母と、兄のものだ。
兄は実に優秀な男だった。弟の僕とは結構年の離れた兄で、喧嘩の類はしたことが無い。僕が中学生になった頃には既に大学を卒業、大手商社に就職をしていた。そこで冬香さんと出会い、結婚。おまけに海外支店への栄転が決まった。
まさに順風満帆な人生、だった。
栄転が決まった兄が、引越しついでに父母を海外旅行へと連れ出すのを、僕は高校受験を理由に見送らざるを得なかった。ついでに言うと、冬香さんも仕事が理由で兄と一緒に海外に渡ることはできず、結果兄は新婚早々に単身赴任となってしまったのだ。
三人が笑って空港のゲートをくぐっていくのを見たのが、僕が覚えている生きている三人の最後の姿だ。
三人を乗せた飛行機は目的地の空港で着陸時に爆発炎上。当初はテロかと騒がれたが、事故調査委員は最終的に機体の整備不良――ないし初期不良を原因として発表した。
僕は唐突に天涯孤独の身となってしまったわけである。
祖父母は既に他界していたし、親しい親戚もいない。両親の生命保険と、航空会社から補償としていくばくかのお金が支払われたおかげで当座の生活が困窮する事は無かったが、いくら金銭があろうと未成年一人ではアパートすら借りられないのである。
家族を一度に喪ったにしては冷静だと思われるかも知れないが、正直なところを言えば実感が湧かなかったというのが本音だ。あの頃、テレビで繰り返し映された三人の乗った飛行機の爆発炎上のシーンは、まるで映画のように見えていた。もう三人と話すこともできないのだと、なぜか理解できなかった。
だから事故原因の究明だの保険だの補償だのと色々な話が飛び交っている間も、自分はどこかそれを他人事のように見ていた気がする。
ああ。やはり今考えてみれば、僕も随分動揺していたのだろう。そうすれば義姉の不自然な態度を怪訝に思うくらいはできたはずなのだ。
冬香さんは、新婚の夫を唐突に喪った。二人はそりゃ傍から見てもお似合いで、仲睦まじかった。むしろ少し離れてろ、と思うくらいに。冬香さんは受験で残った僕の面倒を見るために、家に居てくれた。だからニュースも二人同時に知った。
あの人は、取り乱さなかった。大使館や兄が配属されるはずだった支店、航空会社と連絡を取り状況を確認し続けてくれた。保険金や遺族補償についての交渉も、彼女が代わりに担ってくれた。最後まで、きちんと僕の意思を尊重しながら。
そうして、身寄りの無くなった僕の保護者にまでなってくれた。
その際、あちらの家族と揉めに揉めたことを、僕は知っている。
仕方が無いとも思う。いくら夫の弟とはいえ身寄りの無い子供一人を、まだ若い義姉が抱え込むなど親としては看過できないだろうことは、想像に難くない。
結局、冬香さんは両親の忠告をつっぱねて、それまで住んでいた実家を引き払い(結局二人は新居なるものも用意していなかったからだ)、僕もまたそれまで家族4人で住んでいたアパートを引き払って、このアパートで二人暮らしを始めたのである。
| 固定リンク
「「冬香さんと僕。」」カテゴリの記事
- 「冬香さんと僕」#24(2008.06.27)
- 「冬香さんと僕。」#23(2008.06.20)
- 「冬香さんと僕。」#22(2008.06.14)
- 「冬香さんと僕。」#21(2008.06.07)
- 「冬香さんと僕。」#20(2008.05.31)
「小説」カテゴリの記事
- 「あめのおと」#2(2008.07.20)
- 「あめのおと」#1(2008.07.12)
- 「冬香さんと僕」#24(2008.06.27)
- 「冬香さんと僕。」#23(2008.06.20)
- 「冬香さんと僕。」#22(2008.06.14)


コメント