「冬香さんと僕。」#3
/3
僕――柊雪也は、両親を亡くした孤児である。あんまりそれを実感する時間は無いのだけれど、やはり僕はそういうカテゴリに入る人間だった。何か保護者の了承を得なくてはならないこと――例えばアルバイトの許可だとか――は冬香さんにお願いしなくてはならない。履歴者の保護者の欄を埋める時に、いやでも実感させられるわけだ。
我が身を儚んでいる訳じゃない。ただ「ああ、もうあの人たちは居ないのだなぁ」と実感してしまうのだ。再三にわたってそれを繰り返し確認する作業というのは、これで中々に気分の悪いものだった。
カラコロとドアに付けられたベルが鳴るのに合わせ、僕は無心に拭いていたグラスから顔を上げた。
開かれたドアをくぐって、二人連れのお客さんが入ってくる。
「……いらっしゃいませー」
駅から少し離れた場所にある喫茶店が、僕のアルバイト先だった。
会社を早期退職したマスターが、趣味だったコーヒーを売り物にするために始めたお店なのだそうだ。他にもマスターの奥さん(美佐子さんという)が作るケーキと焼き菓子が、それなりに人気を集めているらしく、満席にはならないけれど常にお客が途切れないというお店になっていた。
「こちら、本日のメニューになります」
メニューとお冷を持ってお客の前に立つ。
日替わりで変わるケーキのメニューを説明して、注文をとり終えると一礼して踵を返す。コーナーの中にいるマスターにオーダーを通して、お冷を持って席を回る。
平日の夕方ともあって、席はそれほど埋まっていない。もう少しすると、待ち合わせだなんだでもう少し人が入るのだけれど。
時計を見れば、針が17時を指そうとしていた。さて、そろそろかな、と首を軽く捻る。
カラン、と音を立ててドアが開く。入ってきたのはブレザー姿の女の子だ。少し短めなスカート(と言っても最近じゃあれで普通だが)を翻して、カウンターの方へとまっすぐ歩いてくる。
ショートの黒髪を揺らす。手足は細く、これで運動部にしては筋肉はついていない。日焼けした浅黒い肌と棒のようにも見える手足は、少女というよりは少年といったほうが納得できるのかも知れない。ただ、そのサラサラの髪と細い首筋とぱっちりとした瞳を収めた繊細な顔立ちだけが彼女が女の子であると主張していた。
「ごめん、柊! 遅れちゃった!」
「……謝るなら僕じゃなくてマスターにね。マスター、夏奈ちゃん帰ってきましたよ」
「お帰り、夏奈。ほら、早く着替えて入ってくれ。そろそろお客の流れが変わる頃だから」
「はぁい。じゃあ、着替えてくるねー」
バタバタとカウンターの奥へと消えていったのは、マスターのお嬢さん。ついでに言うと、僕のクラスメートでもある東島夏奈だ。この店のバイトを紹介してくれたのが彼女なのだけれど、言ってはなんだが彼女は色々と忙しい人間だった。そもそもバイトを探した理由が、自分が部活をするために代わりの労働力を探していた、というのだから。
「……やれやれ。高校生になったっていうのに相変わらず落ち着きの無い」
マスターがぼやくのが聞こえて、僕は少しだけ笑ってしまう。
「あれでも学校じゃ、みんなの信頼を集めてますよ。部活でも結構期待されてるらしいですし」
「あれがねえ。ま、もう一人に比べれば確かにマシなんだろうけどなぁ」
肩をすくめつつコーヒーを淹れるマスター。美佐子さんは、裏で追加のクッキーを焼いているらしく、時折バターと小麦粉の良い匂いがする。
マスターがぼやいたもう一人のことを考えて、僕も苦笑した。確かに。あの人と比べれば、東島は確かに随分とマシなんだろう。
再びドアが開く音がした。
さて、では頭を切り替えて――と思って僕の身体が止まる。
「ただいまぁ」
ふんわりとしたフレアスカートの裾を翻して歩いてくる女性。ニット地の上着はぴったりと張り付いて身体のラインを際立たせる。主に、胸元とか。
パーマをかけているのか、ふわふわの髪は明るく茶がかって、まるで羽のように軽くひるがえる。化粧はばっちりしていて、何処のパーティ会場に放り込んでもきっと馴染めるだろう。そんな人がツカツカと僕を目掛けて歩いてきて。
「ただいま、雪也ちゃん」
そして、どっしりと僕の頭を抱きかかえた。
「……おかえりなさい、秋乃さん。できれば放してくれませんか。仕事中なので」
「えー。冷たいなぁ」
ちなみに僕の目の前には、見事な隆起しか無い。体勢的にここから動くと色々問題になりそうなので、秋乃さんに放してもらうしか無いわけである。
ぱっと放されるので、一歩下がって深呼吸を一つ。
「お店の中では、そういう事はやめて下さいって言いましたよね。僕」
「……んー。覚えてないや、あはは」
にこやかに笑って頭を掻いているのは、東島秋乃さん。マスターの娘であり「もう一人の方」である。この人がいるせいで、僕は仕事中は東島のことを「夏奈ちゃん」などと呼ばなくてはならないのである。マスターはマスターと呼ぶし、美佐子さんのことは名前で呼ばされた。初日におばさんって呼ぼうとしたら睨まれた。そんな訳でこの店で東島と呼ばれる可能性があるのは夏奈ちゃんと秋乃さんだけだったりするのだ。
「ほら、あたし馬鹿だからさぁ」
「大学に通っておきながらその台詞は聞きません。ほら、早くシフト入らないと遅刻扱いにされますよ」
「え! うっそ! ちょっと、おとーさん!?」
バタバタと、こればかりは妹と同じような慌しさで店の奥に消えていく秋乃さんを見送り、僕は「はぁ」と溜め息を一つ。
店の客――特にこの時間帯は常連さんばかりなので、今の騒々しい一幕もお客さんは気にした様子もない。要するに、気にする必要がなくなるくらい日常茶飯事なのだ。
「ごめんなぁ、雪也君」
マスターがそう言いながら、苦笑いを一つ。
僕も同じように苦笑いをして、肩を竦めた。
「柊ー、はいこれ。お願いねー」
「雪也ちゃーん。オーダー良い?」
なんだってこの人たちは、仕事をする時に僕を通そうとするんだろうか。
そんなことを考えつつ、皿をさげてオーダーを厨房に通す。
日々のアルバイトは、まあこんな感じなのである。
| 固定リンク
「「冬香さんと僕。」」カテゴリの記事
- 「冬香さんと僕」#24(2008.06.27)
- 「冬香さんと僕。」#23(2008.06.20)
- 「冬香さんと僕。」#22(2008.06.14)
- 「冬香さんと僕。」#21(2008.06.07)
- 「冬香さんと僕。」#20(2008.05.31)
「小説」カテゴリの記事
- 「あめのおと」#2(2008.07.20)
- 「あめのおと」#1(2008.07.12)
- 「冬香さんと僕」#24(2008.06.27)
- 「冬香さんと僕。」#23(2008.06.20)
- 「冬香さんと僕。」#22(2008.06.14)


コメント