「冬香さんと僕。」#15
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宮川椛は戸惑っていた。彼女の視線は窓際に向いている。
そこには机に突っ伏している柊雪也の姿があった。隣に座っている生徒も、怪訝そうに隣を見ている。普段の雪也は優等生といって良く、少なくともあのような見るからに居眠りする様子は見せなかったはずだ。それは周囲のクラスメート達も感じているのか、奇異の目で彼を見ている。
「……んんっ」
咳払いを一つして生徒達の視線を前に集めなおすと、椛は雪也の隣の生徒に彼を起こすよう指示をした。肩を揺すられて顔を上げた雪也に、椛は短く後で職員室へ来るようにと伝えた。
「一体どうしたの? 具合でも悪いの?」
「いえ……」
職員室に現れた雪也に、椛は開口一番そう訊ねた。
言葉短く否定した雪也は、ただ一言居眠りについて謝罪した。しかし椛には正直、居眠り自体は目くじらを立てるほどではないと思っていたのだ。少なくとも、雪也に関しては、だが。
「目が赤いわ。……もしかして、あまり寝てないの?」
「……いえ」
言葉は少ない。けれども、答えるまでの間が真実を示していた。
「もしかして、進路のことで冬香と何か揉めたの?」
「ああ、それは無いです」
三者面談をした翌日のこの状況に、もしやと思って訊ねてみれば、それは違うと即答する。椛は正直なところ、なんと判断すれば良いのかを図りかねていた。
雪也は表面的には変わりなく見える。
けれどもやはり、どこかぼんやりとしているのだ。
「はぁ……。分かったわ。別に具合が悪いわけじゃないのね?」
「はい」
椛が眉間に皺を寄せたまま、頷いた。
「分かったわ。じゃあ、行ってよし。でも他の先生の授業中は居眠りしないようにね」
「気をつけます。じゃあ、失礼します」
職員室を出て行った雪也の背中を見送って、椛はもう一度溜め息を吐いた。
雪也が何か別のことに気をとられている事は一目瞭然だった。あれではたとえ起きていたとしても、授業内容は頭には入らないだろう。
一体なにがあったのか。昨日は特に何も変わりなかったというのに。
雪也のあの様子は、ただ事では無いだろう。普段の彼は、あんな風に弱みをさらけ出すことを嫌っている。それくらいは担任として把握していた。
そして今は、担任としてしか雪也に接する事が出来ないという事も。
† † †
目覚まし時計のベルが鳴ろうという寸前、布団から伸びた手がそれを止めた。
カーテンの向こうから朝陽が差し込んでいる。明るい光に照らされて、眠りこけている隣の女性の顔がよく見えるようになった。
もう片方の手は動かすに動かせないままで、その不自由な姿勢のせいか身体が痛い。
つながれた手は、解こうと思えば多分ほどけるだろう。ただ、そうする事が出来なかっただけで。
ぼんやりと、自分の隣で横になっている義姉を眺め雪也は心の中で呟いた。
(……結局、眠れなかった)
自分が眠ったと思った彼女の夜半の行動を思い返し、雪也は目を閉じる。
あの一瞬。自分の身体が動かなかったことは救いだった。もしもあの時、まだ彼が起きていたことに彼女が気付いたとしたら、どうなっていただろう。今はこうして幸せそうな顔で寝こけている彼女は、どうしていただろうか。
喪失は今や雪也にとって、もっとも恐れるべきことだった。
果たして、彼女の行動をどう受け取るべきなのかすら、混乱した頭では考えはうまくまとまらない。
そもそも、あんな真似をしておいて、あっさり眠るとはどういうつもりなのか。
どうしたものかともう一度目を開き、冬香の顔を見た。
口が半開きになり、くかー、などと呑気な寝息を立てている彼女に思わず苦笑が浮かぶ。
彼女のあの行動は、家族への親愛の情なのだろう。雪也にはそれが正解だと思えてきた。冬香の指には今も兄が贈った結婚指輪が輝いている。そして彼女にとって自分は、その弟なのだから。常日頃から彼女が言うように、きっと自分は彼女にとって「弟」なのだ。
そうでなければ、一緒にいる理由は無くなってしまう。
もぞもぞと動いた冬香がうっすらと目を開いた。
「……んぅ?」
「おはようございます」
冬香の目がぼんやりとしたままで、そのまま数秒、雪也の顔を直視し続けていた。
「雪くん……?」
「はい」
まだ意識がはっきりしないのか、冬香の反応は鈍い。
雪也は小さく笑って、繋がれた手を握り返してみる。
「そろそろ放してくれないと、二人とも遅刻しますよ」
「え!?」
がばっと冬香が起き上がり、時計を掴んだ。針は彼女がいつも起きる時刻より進んでいる。そして、多分朝食を作る余裕は無い。
「う、嘘!」
「すいません。時計のセットを忘れていたみたいで」
雪也がしれっと言うのを聞きながら、冬香は跳ね起きた。
「えーと! と、とりあえず急がないと!」
「ですね」
バタバタと部屋を出て行こうとした冬香が、不意に足を止めた。
ちらりと振り返って、今の今まで自分が寝ていた場所。すなわち、雪也と布団を見た。
「……えっと、あのね?」
「はい?」
雪也の態度はいつもと変わらない。怪訝そうに自分を見返した雪也に、冬香はただ「にへら」と笑った。
「ううん、なんでもない。おはよ、雪くん」
「おはようございます。冬香さん」
部屋を出て行った冬香を見送って、雪也が深くため息を吐いたことに彼女は気付かなかった。
そして、部屋を出て洗面所へ駆け込んだ冬香が同じように深く溜め息を吐いたことに、雪也は気付かなかった。


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